『受験頑張っておばさん』は何者か

何者かはわからない。多分、予備校の先生じゃないかと思う。

二年前のことだ。
センター試験1日目のお昼か夕方のニュースだった。

NHKで、「センター試験に向かう受験生達を予備校の講師陣が声援とともに送り出す」というニュースをやっていた。

しばらく講師陣から激励された後に会場へ向かう受験生達。

その背中に向かって「楽しんで~~~~」と叫ぶ中年女性の声。

ん?????

いや・・・その声援、何か違くないか。

そのニュースは夜に至るまで3回ほど流され、私はイラつきに近い強烈な違和感を抱いた。

さて、その一年後のセンター試験日。
同じようにNHKで「試験会場に向かう受験生を送り出す講師陣」のニュースが流れた。

受験会場に向かう生徒達。
その背中に向かって、

「楽しんで~、楽しんで~」

ダメ押し2回かよ!!!!!

間違いじゃなければ、去年と同じ女性の声ではなかっただろうか。

何だ!?何だこのイライラは!?
強烈なコレジャナイ感は!?
私の心が狭いのか!?

この感情の理由を教えてくれ・・・・!!!!

と、いうわけで、理由を3つばかり考えてみた。

①「その声援は、よく考えて言ってるの?」

何かの本番に臨む際に、「楽しんで!」というエールはよく聞く。
それはどんなときだろう?
部活の大会や試合とか、舞台の本番とかではないだろうか。

また昭和と違い、平成のアスリートなどは「大会を楽しんで来ます!」などよく口にする。

スポ根丸出しの昭和は「苦しんで練習したことに価値がある・本番は真剣緊張でガチガチ」だったが、新しい世代は「好きなスポーツだから楽しんで本番に臨む」。

いろんな一流アスリートが「楽しむ」と言ってるせいか、ダンスや音楽などの様々なジャンルの人々もこれを口にするようになった。
今では素人さんを教える習い事の先生や生徒のお母さんも判子を押したように「楽しんで」と言う。
世の中は安易な「楽しんで!」が溢れて全くありがたみがなくなっている。

どうも講師の「楽しんで~」もその流れのような気がする。
「緊張する本番に向かう子がいるから、『通例通り』に”楽しんで~”」
状況も考えずに口にするから、違和感がある。

もし「いや、これには深い意味があって」というなら教えて欲しい。

②「そのそも楽しむものか?」

ではこの講師が考えなしではなく「真剣に”楽しんで受験して欲しい”と思っている」と仮定したとする。

だとするとしかし、受験ってそもそも楽しむようなものだろうか???

いや違う。

別に「苦悶の表情で受験しろ」とは言わないが、楽しんでる場合ではない。
だって人生がかかっているのだから。

大前提として、スポーツ等は自分で選択したもので、受験は無理やりやらされているものだ。
希望大学に入学することが目的であって、受験はそのため仕方なく受けるもの。
やらなくていいならそれに越したことはない。

好きでやってるスポーツの試合に「楽しんで!」は当てはまっても、
仕方なくやってる勉強と受験に「楽しんで」は的外れだ。

「緊張せずに受験して欲しい」というのなら、他にもっと適切な言葉があるはずだ。

③「逆に、楽しんだらヤバいんじゃね?」

さらに深読みして、講師が「苦しい受験でも喜びを見出して楽しんで欲しい」と切に願っていたとしたら。

一番ヤバいと思う。

「辛くても我慢しろ」
「困難にこそやり甲斐がある」
「どんな壁も楽しいと思え」

こんな言葉を叩き込まれながら育った生徒たちの行く末には、ブラック企業で笑顔で消耗していく姿しか見えない。

ブラック企業の新人研修で、研修室に三日三晩詰め込まれた新人達に講師が
「辛いときこそ楽しんで~楽しんで~」
とワッショイワッショイしているように、

年末年始の塾の合宿で、教室に詰め込まれた生徒達に講師が
「センター試験を楽しんで~楽しんで~」
とはやし立ててる画が浮かんだ。